そのままでいいのに、手を入れるからダメになる。
白ご飯の旨さは冷めていた方がよくわかるものであり、炊きたてこそが美味いというのはむしろ思い込みである。
先日読んだ「おいしいもののまわり」にそんなことが書いてありました。
曰く、昔は炊きたてのご飯は贅沢品だったので家長や長男しか食べることができなかった。その特別感へ憧れから、ご飯は炊きたてが最高!みたいな考えが根付いているのではないか、と。
言われてみれば、そうかもしれん。未経験どころかこの目で見てもいない大昔の風習に未だになんとなく縛られているなんて、おかしなものですね。
そのままでいいのに、手を入れるからダメになる
普段の食事ではあまり白ご飯を食べない生活の私。当然炊飯機会は少ないのですが、現在の食生活になる前から炊飯器の保温機能が嫌いでした。
保温したまま時間がたったご飯って美味しくないし、白ご飯をわざわざずっと温めておく必要性も感じられない。よって、炊飯器はその名の通り炊飯のみに使用しており、保温することはほとんどありませんでした。炊けたら出して、小分けにして即冷凍。
家族がいるなら保温機能の使い道もいろいろあるのでしょうが、一人暮らしの食卓ではまず不要。そのままで十分おいしいのに、なんとなく便利そうな家電に頼ってわざわざ不味くして食べるってのは本末転倒というか、悲しみさえ漂うお話ではありませんか。
などと偉そうな口を叩いてはおりますが、その昔弁当生活を謳歌していた時代はありがたくタイマー炊飯を活用していたんですけどね。
便利家電なんて云々いいながら、結局は自分だって文明の利器に頼り切って生きているのであります。
贅沢ってそういうこと
もちろん、頼る利点があるからこそ偉い人がいろいろ開発してくれるのであって、新しい機能になんでもかんでもダメだしするつもりはありません。そして、手をかけ暇をかけ、こそが愛情だとも思わない。
道具はうまく使ってこそ生きる。何に重きを置くか、何を選び、何を捨てるかは、人それぞれ違うのだ。
本書には炊きたてのご飯しか食べられないという男性は、炊きたてこそが至高と思い込んでいるお母様によっぽど大事に育てられらんだろうとか、味のついていない白いご飯を食べられない子供はまだ本当に美味しいご飯を食べたことがないのではなどという記述もあり、たかが白ご飯ひとつからでも見方を変えればさまざまな想像ができるものだなと不思議な気持ちで読み進めました。
料理人の切り口で語られる食や道具について読んでいると、ていねいな暮らしとは縁のない私でも、きちんと正しい手順で炊いたご飯をおひつに移して、ふっくら旨い頃合いを見計らって食べてみたくなりますね。塩むすびに純米酒の組み合わせって、意外とイケるしね。ご馳走って、贅沢ってそういうこと。
汚れの目立つ白いエプロンをあえて選ぶってのもいいな。私のような粗忽者が台所で白なんてまとったらば初日でダメになることは目に見えているけれど。
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