街で偶然知人をみかけても99%声をかけない。
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生き方と考え方
商店街の八百屋の前で、右手にねぎを掴んで立ち尽くしていると声を掛けられました。ねぎから意識を声に向ければ、どこかで見たことのあるような男性の姿が。
一応ああ、とか笑いながら手を振ってみたのだけど誰だかわからず混乱する私。誰だっけ、知ってる、知ってるはずなんだけど、誰だっけ。ただでさえ動きの鈍い頭をフル回転させて、脳内コンタクトリストを検索する。
整体の先生でした。
不意打ちに滅法弱い人
ああびっくりした。しかし、驚いたのは、彼のほうだと思われます。
街で顔見知り、というか、お客さんを見かけたならば挨拶のひとつでもするのが社会人としての常識でしょう。彼はそれを自然に実行したに過ぎない。
しかし声をかけられた私はと言えばご近所に知り合いなど皆無であり、知人に遭遇しがちないきつけの店や職場周辺ならともかく、生活圏内で誰かに声をかけられることなどありえないと思い込んでいる。その上、不意打ちに滅法弱いコミュニケーション下手ときているのだからさあ大変。
だいたいさあ、目の前にいて、すでに声までかけてんのに、そのタイミングでぶんぶん手を振るっていう行為が謎すぎるでしょうよ。怖いわ。と、後々思い出して呆れ返る。
近所だし、誰にも会わない日だから油断してパンツ一丁で徘徊していたとかそういう話ではありません。
服も着てるし、化粧もしているので、あらやだこんな格好で恥ずかしいおほほ、ということじゃないんです。
街で偶然知人をみかけても99%声をかけない
待ち合わせをしている、馴染みの店に入る、パーティーや宴会などであらかじめ大勢の人が集まることがわかりきっている。そのような、誰かに会うと心算ができている場面を除いては、偶然街で知り合いに遭遇しても99%の確率で声をかけません。かけられません。残り1%はよっぽど親しい友人か、この場面で声をかけないのはどう考えても不自然と判断した場合、でしょうか。
声をかけない理由はなぜだかわからない。わからないけど、街で偶然見かけたから声をかける、という発想自体を持ち合わせていないのだと思います。
自分がしないから、されるとびっくりしてしまうのか。いや、おそらく声をかけるのが大人の嗜みだと思うし、その行為自体を忌み嫌ってはおらず、いちいち声かけてくんなよバーカみたいなことは1ミリたりとも思っておりません。思ってませんが、ただ、挙動不審にはなる。
これは多分、電話が苦手なことと似ているような。
意図しない出現に、戸惑う。
戸惑った私のおかしな言動を不憫に思ったのか、その後先生から「突然声かけてすみませんでした」という謝罪のメッセージが届く。いやいやいや、すみませんはこちらのほうなのに、妙な気を遣わせてしまったわと冷や汗をかきました。
大人になれば自動的にできるようになるのだと思い込んでいたことのひとつ、何気ない社交(というほどのものでもないが)。おばさんらしいど厚かましさはそれなりに身についてきたというのに、なぜ社交能力はいつまで経っても上がらないのでしょうか。謎。訓練が足りないのか。
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Comment
初めまして。わたしも還暦秒読み主婦なのに挨拶が好きでなく、時に声が小さくて気づいてもらえず、なのに近所の犬(飼い主不在時)には満面の笑顔で話しかけています。思うに素でいる時は何者でもないんです、自分。ぼーっとしてふんわり考えごとなどしている。
そこに近所の人が登場するとそう言う役割の人として固定される。その切替に時間がかかる、もしくはあまり好まない。田舎生まれで都会に来て匿名でいられる自由を満喫できてる偏屈ものの話でした。
やまこさん
コメントありがとうございます。
やまこさんのおっしゃること、とてもよくわかります。確かに一人でいるときは限りなく無の境地に達していて、そこに突然誰かが登場すると場面転換がうまくできないのかもしれません。私の場合は相手に役割を固定されるというよりも、自分がどんな顔でその人と接していたかを思い出すのに時間がかかる(健忘)からオタオタするのかな、なんて考えました。
ちなみに、私も犬には積極的に行くタイプです。今度ともどうぞよろしくお願いいたします。
自分のことが書いてある、と思ってしまいました。
僕も知り合いを見かけても話しかけないし、電話も苦手です。なるべくメールで済ませたいです。むしろメールでは饒舌なタイプ。
なんでしょうね、テンションを上げたくないというか作り笑顔をしたくないというか。
知っている人を見ると
「うわ、めんどくさ。」
と思ってしまいます。
知ってる人を見かけて話しかけないと、冷たい人と言われそう。
でもおじさんになると、どう思われても痛くも痒くもないということも知っている…(笑)。
Crispyさんは都会に暮らして人脈の多そうで社交的なイメージだと勝手に思っていたので、意外に思いました。でもいくら社交的な人だとしても、スイッチがオフの時もありますよね。
トム(仮名)さん
冷たい人と言われそう…。私、卒業式では泣きませんでした。別に涙を取っておこうとは思いませんでしたが。
私、社交力は限りなくゼロに近いです。ゼロだとさすがに一人暮らしは難しいので必要最低限の挨拶とかはできますが、能力はとても低いと自負しております。ここに度々「友人」が登場するので社交的に見えるのでしょうか。実はほんの数人友人ネタで回しております。1回飲みに行っただけでブログ3回分くらい書けるほどに想像力は豊かです。
ところでトム(仮名)さんも私かと思いました。私も英語でブログを書こうと考えたことがあるんですが、発信するほどに好きなことが特になくてですね…。なのにこのブログは毎日書いているとはこれいかに。ああ、何かにハマりたい。(こればっか)