何度も同じことばかり言ってしまう。
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生き方と考え方
最近気付いたのですが、どうも同じことばかり言ってしまいます。
同じ人に、同じこと。聞かされる方は、たまったもんじゃありません。
何度聞いても面白い話とか、何度だって伝えたい熱い思いとかなら、100歩譲ってよしとしましょうよ。それでもイヤだけど。
そうじゃない場合は、救いようがない。
何度も同じことばかり言ってしまう
15年ほど前によく行っていた店の店主は、会う度に同じ話ばかりする人でした。
会う度、というか、一緒に過ごしている数時間の間にも何度も繰り返すので、ハイそれ2回目、今日もう3回目、とみんなで適当に突っ込むのがお約束となっており、ご本人はリフレインについて特段気にする様子はなかったと記憶しています。
彼女は決まって酒を飲んではいたが、酔っていたかは定かではない。それどころか、あれほど何度も聞かされた話の内容を、まったく覚えていないという恐怖。ハイハイわかったわかった、まーたその話?なんてみんなでゲラゲラ笑っていたというのに、なんということでしょう。
きっと、きれいさっぱり忘れてしまえるほどにくだらなく、儚く、たのしい話だったのだ、ということにしておきたい。
そして当時の彼女と同年代になった私もまた、同じことばかり言う中年に育ちました。
こまやかな気配りをした、よい付き合い
学生時代の友人や、地元の幼馴染みらと、数年ぶりに会えば昔話に花が咲くのは自然な流れでしょう。
昔と今をつなぐ時間がなく、お互いの間には長きに渡る空白の時間が横たわっているのだとしたら尚のこと。近況報告もそこそこに、そういうやあの時おまえはああだったこうだった、などとすっかり時効になったはずの恥話を持ち出されてハラハラする。これぞ同窓会の醍醐味でありましょう。同窓会、行ったことないから、知らんけど。
私の場合はそんなスイートメモリーズ的なものではなく、つい先日会ったばかりの友人にそのまたつい先日も言った、なんならここ2年くらいずっと言い続けていることをまた言ってしまうという、背筋も凍るエピソードです。
その内容がこれまたくだらなくて、あの旅行に行った時A子がさーとか、あの店で食べたアレが美味かったよなーとか、およそ文化的な香りのしない会話。話してる瞬間はお互いゲラゲラ笑ったりしてるんだけど、別れてから、あ、また同じ話してたな、と反省してしまう。
この話題を持ち出すのは、多分いつだって私のほうだ。単に引き出しの少ないバカなのか、それとも他に原因が。
認知症チェックテスト(宇佐市)
そういうことではないみたいです。でも、いい加減怖いので、気をつけたいのは山々です。
上記チェックテストには認知症予防として「こまやかな気配りをしたよい付き合い」が有効であると記されていました。
確かにそれ、弱いわあと納得。みんなからママと呼ばれ、多くの人に慕われ、愛されていたあの人のあの貫禄を、自分は到底持ち合わせていないもの。追いついたのは、数字だけ。
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