自分のスケールを悟る頃。
先日久しぶりの友人と食事をしました。
久しぶりって、3年ぶりとかそれ位。
お互い都内在住なのに会わない時はスコンと会わないねえ、などと言いながらお互いの近況を報告し合う。
さて顔を合わせなかったこの3年間、私は日々のほほんと暮らしておったわけですが、彼女のほうはなかなか激動の時期だった模様です。
自分のスケールを悟る頃
彼女は40代でフリーランス、ファッション関連のクリエーター。職種は違えど、私と割と似た生活をしている女性です。
聞けばこれまでの活動が実って多忙な日々が続いており、2年ほど前が忙しさのピークだったとのこと。
が、ふとしたきっかけで仕事量が減った時、それまでの無理が祟ったのか緊張の糸がぷっつりと切れてしまった。あれ、私、これからどうしたいんだっけ?と突然考え込んでしまったと言います。
若い頃は業界のトップクリエーターの活躍に憧れ、このまま努力を続ければ自分もその位置に辿り着けるのだと信じて疑わなかったけれど、ふと気づけばすでに40代。若手と呼ばれた時期はとうに過ぎていて、けれど、あの頃目指していた場所にいるわけでもない。
夢中で努力してきたけれど、結局私の実力ってこの程度だったんだな。
「自分の限界がようやく見えた」
その時の気持ちを、彼女はそう表現しました。
そろそろ、ちゃんと生活しよう
自分の限界を知った。それでも人生は続く。
これまでは仕事でいっぱいいっぱいで、それでいいと思っていたし、それ以外の生き方があることすら考えていなかった。でも、こうしてぽかんと時間ができると、ずっと仕事以外は何もせずに生きてきてしまったんだなと痛感し、さらに落ち込む。
部屋に閉じこもって鬱々と内省を繰り返し、彼女が出した結論は
「そろそろ、ちゃんと生活しよう」
ということでした。
未来の自分を信じて必死で頑張ってきた時間は無駄ではない。でも、40代、50代と年齢を重ねていくにあたって、これまでと同じペースで仕事を続けられるとは思えない。ならば、この辺りでこれからの働き方や生き方について真剣に考えたほうがいいのではないか。
本人曰く「引きこもり一歩手前」の状態で、自分自身と向き合う日々を経て、彼女は渋谷のオフィスを閉鎖して管理作業とコストから身軽になる選択をしました。そして時間の余裕を活用してふらっと旅に出たり、興味はあったけれど忙しいからと先延ばしにしていたダイビングのライセンスを取得するなどしながら、仕事以外は何もすることがない自分からの脱却を模索する日々を送ったそうです。
仕事が忙しいことを言い訳に、一番大切な生活をおろそかにしていた。だからこそ、これからは仕事を含めた生活全てを立て直したい。
そんな言葉を聞いて、これがリアルな人生だよなあと思ったのでした。
ていねいな暮らしごっこでは何も解決しない
ちゃんと、生活する。
彼女の考えたそれは部屋をきちんと整頓するとか、手間暇かけて料理を作るとか、なんなら自家製の梅干しを漬けたりガーデニングを始めるなんていうていねいな暮らしごっことは全く別のベクトルの話なのだろうなと考える。
暮らしの見直しとなるとワークライフバランス云々とかていねいな暮らしがどうだとかはたまた勘違い自分探しみたいな方向に行きがちだけれど、プライベートも遊びも仕事も夢も希望も、そして諦めさえも全部ひっくるめて、さらに残された時間を考慮しつつこれからを考え実行に移す。それがちゃんと生活する、ということなのだろうと。
もちろんていねいな暮らし的なものを否定しているのではありません。ちゃんとした生活にシフトすべく本気になったら、全然ほっこり癒しのひとときなんかにならなくて、むしろ相当泥臭い痛みを伴うよねって話です。
あの頃に夢見た場所とは違うけど
ここ数年で彼女が挑戦したあれこれもちょっと遅めの自分探しみたいに見えるかもしれないけれど、実はやったこと自体にはそんなに大きな意味はなくて、泥まみれになりながらも自分の枠を広げる活動をしつつ真剣に自分と向き合う時間を持ったことこそが重要だったのかも。
いつも賑やかな輪の中にいて、孤独とはまるで縁のなさそうに見える彼女だからこそ、突然やってきた静かな時間で得たものは大きいのではないかしらと思うのです。
さて、40代に突入した途端厳しい時間を過ごした彼女。暗くて寒いトンネルを抜けた後は仕事でも新たな扉を開け、現在は以前とは違った多忙な日々を送っています。
一旦迷い、立ち止まったからこそ視野が広がって飛び込んだ新たなステージ。そこはあの頃夢見ていた場所とは違うけれど、そう悪くはないのと笑う。
関連 小さな暮らしも素敵だけど、大きな家ってやっぱりいいよね。
うん、それでいいと思う。いつだって予定は未定、別の道が見えたならガンガン進めばいいと思う。
タイムマシンで19の乙女が40過ぎた自分の姿を見に来たら、ああ夢は叶わないのねとがっかりするかもしれないけれど、今の自分は過去の自分の夢を叶えるために生きているわけじゃないもんね。
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Comment
いつも拝見するだけだったのですが(そして毎回楽しませていただいているのですが)、今日は満腔の同意を示したく、コメント欄を探しだしました。コメント欄あるんですね(あってよかったです!)、すっごく下の方なので日参しているブログなのに今日まで知りませんでした。
今日の記事、とても深くしみました。特に最後の3行!これ、30代後半以降のひとの多くが「そうそう!」って言いそうだけど、それをこんなふうに言葉で表現できるひとってあんまりいないんじゃないかな。すくなくとも私はこの文を読んでハッとしました。深く共感する文章って、「私もずっとそう思ってた!」と思わせてくれるというか、いっそ懐かしいような気持ちにまでさせてくれますけど、じつは「ずっとそう思ってた」わけでは全然なくて、文章に書かれたのを読んで、はじめて、体内に充満していた「気分」が結晶するんだと思うんですよね。
あー、すっきりした。そう、過去の私の夢をかなえるために生きてるんじゃないのです。
ありがとうとお伝えしたくて、いきなりの長文コメント、失礼いたしました。これからもひっそりと楽しみに伺います。
memeさん
コメントありがとうございます。
言われてみればそうですね、コメント欄ひっそり存在し過ぎてますね。ユーザビリティ的にはもう少しわかりやすい位置にあるほうがいい気がしますが、何しろ臆病者なもので細工ができず…。
ところでこちらこそ嬉しいご感想をお寄せいただいてありがとう、と大声でお伝えしなければなりません。そしてこの記事にこんな素敵なコメントをいただけるなどとは夢にも思わず、翌日調子に乗って書いたジュリーのくだりでいろいろ台無しにした感は否めませんが、とにかく、ありがとうございました!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。