チコタンのアホ。
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音楽、映画、芸術、世界
日々歌い踊りながら面白おかしく暮らしている私ですが、中でも「ハモる」という行為がことのほか好きです。
しかし、いくら一人上手で孤独好きな私であっても、こればかりは一人では成し遂げられない。
私のハモり欲を受け止めてくれる誰か、しかも、前のめり気味のコーラスにつられることなく、頑として主旋律を守りきれる胆力のある歌い手がいないことには、この熱い願いは叶わない。
よって、ハモり欲を満たせるチャンスなど、数年に一度もないのです。残念。
チコタンのアホ
きっかけは思い出せないけれど、幼少のみぎりからハモり欲を持っていた。
人生で初めて経験したハーモニーはおそらく小学校での合唱であろうと推測します。が、しかし。今思い返しても、当時なぜあんな歌ばかり歌わされていたんだろうと不思議で仕方ない。
小学校の合唱で思い出すのは、チコタン、日記のうた、日曜日、など。
いずれも関西弁で綴られた恐ろしく暗い歌詞が聞く者歌う者全てを憂鬱にさせる合唱組曲で、歌詞の途中で人が死んだりする。
自習中に担任の先生の結婚式の様子をあれこれ思い浮かべる児童らの様子を描く微笑ましい曲もある一方、
「チコタン殺したん誰や、アホーーーーー!」
と「僕」が叫ぶラストでは、一体私は何をしているのだろう。なぜ今これを歌う必要があるのだろうかと、子供心に激しく疑問でした。
残念ながら未だに全曲歌えてしまうほどに脳裏に焼きついてしまっている、おどろおどろしい合唱曲の数々。構成からして、おそらく同じ作家が手がけたであろうこのシリーズばかりを歌わされたということはこれ、当時の児童合唱界隈ではすごく流行っていた作品なのでしょうね。
夢や希望も奏でたい
調べてみると、一連の作品は「中学生日記」などを手がけられた脚本家の蓬莱泰三氏の作詞によるもの。兵庫県出身、神戸大学卒とのことで、あ、なるほど。そういうことか、地元出身の作家さんね、と今になって思う。
ご本人によれば、チコタンを制作した背景には昭和30年代の交通戦争があるという。目覚ましい経済成長と引き換えに多くの幼児の命が失われた事実を風化させないという目的を持つ作品だとすれば、なるほどこの酷く陰鬱な歌詞を児童が歌い上げる意味はあったのかもしれない。
あったかもしれないがしかし、願わくば夢や希望を奏でたかった気もする。
40年近くたった今でも
「おとうちゃん早よ起きや、お母ちゃんお化粧まだか(2人とも死んでる)」
と空で歌えてしまうのなら、その代わりにもっと役に立つことを覚えたかったし、メッセージ性の強すぎる音楽は苦手だし。人は悲しみが多いほど人にはやさしくできると鉄矢は言ったけど、悲しみや苦労なんて知らずに済むならそれに越したことはないし。
いや、待てよ。
本当に学校の合唱でこんなのやったっけ?ピアノが上手なご近所のちえちゃんの伴奏練習に付き合って歌っていただけだったかも?でも生まれつき付き合いの悪い私が、仕事でもないのに歌いたくない歌を暗記できるほど歌い込むとも考えにくい。仕事っていうか、授業か。
って、こんな局地ネタわかる人いるのだろうか。検索したら、ちらほらヒットはするけれど。
君は究極のトラウマ合唱曲「チコタン」を知っているか?(ロケットニュース)
今の子供はどうなんだろう。夢や希望を歌えているのかしら。
ところでいきなりチコタンについて書いたのは、今日スーパーでちこ鯛を見かけたからです。ちこ鯛、ちこ鯛、チコダイ、チコタン…と未だに脳内でサジェストされるチコタン怖すぎ。食べてもたろか、ジャン!
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Comment
チコタン!懐かし過ぎます。私も当時、地元の合唱団で、歌っていました。
もしや、ニアミスしていた可能性もあるかもしれませんね。
一連の合唱組曲、旋律が関西弁のイントネーションで、西洋音楽の底知れぬ可能性?に驚きが隠せませんでした。
アメ玉みたいな目やからかな
マシュマロみたいな鼻やからかな
クラスで一番チビやからかな
クラスで一番ゲラやからかな
なんでこないに好きなんかなあ
難儀やなぁ難儀やなぁ
つい歌ってしまいました。
cocue-cocueさん
反応していただけてうれしいです!
やはり歌われましたか、チコタン。確かにあのメロディは全編きちんとした関西弁になっていましたね。不思議。エビカニタコだけ売ったらええねん!
おお!
中学の時に合唱コンクールで歌いましたよ、チコタン。
懐かしくて歌詞検索したけど、私の記憶と違う。。
5番のだれや!?しか覚えてないけど、
私の中では「ダンプ」じゃなくて「クルマ」なんですよ。
はて?
私の中でいちばんのハモリ曲は「夏のおもいで」です。
「夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 遠い空」
この曲に関しては今でも上下両方のパートを歌えます~
あきさん
あれ?言われてみれば私も「クルマ」だったような。。。 でも、もしかしたら他の歌と記憶が混ざっているのかもしれません。ってこの手の合唱曲歌いすぎの幼少時代。
夏のおもいで、ですか。水芭蕉の花が咲いてる〜、あれは夏らしく爽やかでいいですね。
夢や希望のある合唱曲といえば、「未知という名の船に乗り」が記憶に残っています。今でも歌われているのかなあ。。。
↑すみません、またまたでてきてしまいました。
確か「チコタン死んだ
ダンプに轢かれてチコタン死んだ
横断歩道で黄色い旗握って
チコタン死んだ〜」
だったような。
この箇所は歌うというより、語りとアカペラの間みたいな節回しでした。
もしかしたら、車種限定に対してどこからか物言いでもついて、クルマと一般名詞に変わったりもしたのかも?
未知と言う名の船に乗り〜
今も小学校で使われる「歌集」に載っていますよ。見つけて本当に懐かしくなりました。
時々「翼をください」とともに朗々と歌い上げてしまいます笑笑
cocue-cocueさん
>車種限定に対してどこからか物言いでもついて
これ、有り得ますね。私もこの部分の記憶が定かではないのですが、なんらかの問題があったのかもしれません。
そして今の小学生も希望という名の帆を張ってシャバダバダバダしているのですね!思えば生まれて初めてシャバダバしたのはこの歌でした。いや、シャバダバする機会なんてさほど多くなかったですけども。もちろん、「翼をください」も歌いましたとも!