忘れることのありがたさ。
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生き方と考え方
あれは確か小学1年生くらいだったでしょうか。
正月か何かで祖父の家に親戚が集まった時、大人たちが飲み食いしている隣で私は自分と同じくらいの年の従姉妹とチラシの裏に落書きをして遊んでいました。従姉妹があまりに上手な字を書くのでどうしてそんなに上手なのか?と聞くと、半年前から習字を習っているとのこと。へえ、半年程度でそんなに上手くなるものなのか、といたく感心した私は
「その割には上手だね」
と呟きました。
すると、周りにいた大人たちが爆笑したのです。
忘れられない恥ずかしい記憶
なぜ突然大人たちが笑い声を上げたのか不思議に思っていると叔母が
「crispyちゃん、その割って、どんな割?」
と聞いてきました。
私はうまく答えることができず、というか、叔母も別に答えを求めているような口ぶりではなく、大人たちはそのまま笑いながら次の話題へ移っていったのでした。
その時は笑われた意味がわからなかったのですが、幼い私は後々この時の状況を反芻し
「きっと言葉の使い方が間違っていたんだ、私はとても恥ずかしい、もしくは失礼なことを言ってしまったのかもしれない」
と、自分の発言を悔やみながら過ごしたのでした。ああ、あんなこと言わなきゃよかった、親戚一同の前でかかなくてもいい恥をかいてしまった、と。
これは本当になんてことのない日常の一瞬ですが、以後なんとなく私の脳裏にこびりつき、ふと思い出しては恥ずかしい気持ちがこみ上げる苦い出来事として記憶されたのでした。
恥の多い人生
今もこの日のことはこうして文字にできる程度には覚えているけれど、さすがにもう思い出しても恥ずかしい気持ちになることはなく、過ぎ去った幼い日の単なる記憶に過ぎません。
あれから40年近くが経過し、大人に笑われたことを恥だと感じた私はその10倍も100倍も1,000倍もの恥ずかしい失敗を山のように繰り返してきました。
思い出せばあまりの恥ずかしさに今すぐ宇宙の彼方へと消えてしまいたくなるような出来事は1つや2つではなく、まさに恥の多い生涯だ、と言えるでしょう。そして恥ばかりではなく、辛いことや悲しいこと、腸が煮えくり返るような苛立ちなど、どちらかといえば起こって欲しくはなかったことをたくさん経験してきました。
別にこれは私だけではなく、それなりの年数生きてきた人間であれば誰だってそうではないでしょうか。
が、この思いは一生消えることなどないのでは、とその瞬間は感じていても、面白いことに人間というのはいつのまにやら忘れてしまう生き物のようです。
いや、すっかり記憶から抜け落ちることはなくて、出来事としてはきちんと覚えているのだけれど、そこに纏わるマイナスの感情はいつのまにか浄化されている、とでも言いましょうか。
それは単に時間の経過による風化とも言えるし、経験値や理解力の向上でもあり。
幼き私は自分の過ちを笑われたのだと思い込んでしまったけれど、あの時の大人たちは小さな子供がおそらくまだ覚えたてであろう小難しい言い回しをしたことが可笑しく、そして愛らしくて笑ったのだ、とある程度の年齢になってからは理解できたし、いつまでも気にするようなことでもないとも認識するようになる。何より、生きて行く中で新しい問題と対峙する必要に日々迫られて、過去の恥ずかしい思い出をいつまでも大事に抱え込んでいる余地などあるはずがなく。
だって、日々新しい「恥」を生産し続けているのだから。
まさに恥の上塗り。意味違うけど。
忘れることのありがたさ
過去の恥ずかしい出来事や悲しい思い出は新しい恥や悲しみにどんどん上書きされていき、やがてその感情を忘れていく。事の大小はあれど、新しいエピソードのほうがより鮮明に記憶に残るのは当然のことで、新く小さな悲しみによって古くて大きな悲しみは癒されていくこともあるのでしょう。
いや、「癒し」はさすがに言い過ぎかもしれないけれど、恥に関してはありがたいことにどんどん忘れられるよなあ。
と、恥の多い私は新しい恥と古い恥とを頭の中で並べては、懐かしんだりジタバタと苦悶したりしながら人間の忘却力に感謝するのであります。
年を取ると忘れっぽくなる、というけれど、忘れる能力がなければ人生はもっともっとしんどくなるのは確実。
記憶力が衰えていくのは不便なこともあるにせよ、よくない感情に関してはいつまでも執念深く持ち続けていても仕方がないのだから、年齢と共に忘れっぽくなるのもあながち悪いことではないのでしょう。
人間の体というのはなかなかうまくできているようです。
しかしながら、どうして今日こんなことを書こうと思ったのかをもう忘れている有様なのはなんともお恥ずかしい限りです。やれやれ、こうして私は今日も恥をさらして生きているのだ。
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Comment
昔別会社勤務の友人が、職場に不倫カップルと思われる男女がいるので確認して注意しようと思う、という話を鼻息荒くし、私が全力で止めた事がありました。
友人は、職場で孤立気味でもあったので。
その後実行したかは、聞いてません。
15年ほどたった数年前にその友人が
「私に男っ気がないから、最近知り合った既婚のおじさんとつきあっちゃえって、友達に言われた」
と、笑顔で言われた時には、私の顔が険しくなりました。
昔の記憶がなければ、笑顔で
「不倫なんて、あなたに合わないよ。」
と言って終わるでしょうが、始まってもない不倫に説教する始末。
大事なことや必要なことは、記憶喪失か?というほど忘れるのに、こんなこと覚えてて、本人が忘れてるエピソードをプレイバックして怒ってる私。
なんか、割にあわねー。
あれ? この「割」の使い方、合ってますか?
まるいさん
>あれ? この「割」の使い方、合ってますか?
合っていると思われます。
が、割に合わないかと言われるとそうでもないような気も。
というか、15年も前の出来事や会話の内容を覚えていてくれて、さらに怒ってくれるような友達がいるまるいさんのお友達は幸せ者だなあと。相手の何気ない一言に思わず説教したくなるほど親身になれる友達ってそうそういないと思うのは私がドライな性格だからでしょうか。
なんてこのエピソードからお二人の関係性の全てを図ることなどできませんが、なんだかいい話だなあと思ってしまったのでした。
なんだかいい奴じゃなですか、私。
と、ニマニマさせていただきました。
ありがとうございます。
妄想不倫に説教などというアホな事するより、あっさりさっぱり飄々と生きたいです。
だから軽やかに行動されているcrispyさんのブログに惹かれるのかしら。
湿疹早く良くなるといいですね。
まるいさん
はい、そう思った次第です! >いい奴
私も飄々と生きたいと思いつつ、実際のところはねちねち粘っこく暮らしておりますよ。軽いのは旅の荷物ばかりなり。そしてお気遣いありがとうございます、頑張って早く治したいです。