おひとりさま 孤独を美化して推奨するべからず。
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最終更新日:2018/03/20
生き方と考え方
いやほんとごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんだってば。
誰からも責められちゃいないのにうっかり謝りそうになる話題。
美化して奨励している?「孤独大国」になりつつある日本(livedoor news)
推奨だなんて滅相もございません。
孤独を美化して推奨するべからず
日本でおひとりさまなんちゃらとかがやたらもてはやされる風潮が目につくのは、そこに勝機ありと見ている企業が多いからなのだろうけど、この記事によれば「孤独」は心身にかなりの悪影響を及ぼすらしい。
約30万人以上のデータを対象としたアメリカの調査では、「孤独な人は、人的つながりを持つ人に比べて早死リスクが50%高くなる」という結果が出た。また、「孤独」の死亡リスクに対する影響は(1)一日にタバコ15本を吸うことに匹敵、(2) アルコール依存症であることに匹敵、(3) 運動をしないことよりも大きい、(4) 肥満の2倍大きい、と結論づけられた。孤独は心臓病や認知症など多くの疾患のリスクを高めることもわかっている。
マジですか。
記事でも言及されている通り、「孤独」をどう定義するかという問題はある。あるがしかし、私自身は一般的に孤独と呼ばれる状況を積極的に楽しんでいる。
一人で生きていることを美化する気も推奨する気もないけれど、だからと言って卑下する気も否定する気もない。
孤独に対して危機感を見せないそういう態度こそが孤独を美化しているというのだ、と叱られたらあいすみません、というしかありません。
結論から言えば、一人だからといって人生を楽しむことを諦めるつもりはない、というスタンスでいるだけです。なのだけど、その態度こそが孤独を(以下略)。
不安なのはお金が孤独か
先日も友人と孤独について語っておりました。友人は
「技術の進化によりいろんな不便から解放されてきた現代人が唯一、逃れられなかった最大の危機が『孤独』ではないか」
との見解に納得できると言う。
生活とか老後について語るときに誰もが安易に口にするのは「お金の不安」だけれど、実はお金よりも厄介なのは「孤独の不安」では。ということに薄々気付いている人も多いのではなかろうか、と。
どうだろう。私自身は比較的孤独に強く貧困に弱い体質なので、お金の不安もいやだよと思ってしまうけれど、それは私が本来の意味での孤独を体験していないからか。
ただ、最近になって強く感じていることは、他者とのコミュニケーションを面倒がっていてはいけないな、ということ。
結局私が一人の時間を好むのは、良好か否かに関わらず相手との関係を構築する手間を惜しんでいるから。どう距離を取っていいのか、どう接していいのかわからないとか、気配りの仕方がわからないとか、それで誰かに嫌な思いをさせたくないなあとか、嫌われるのも嫌だけどやたら好かれるのも困るし(取り越し苦労)、などともっともらしい言い訳は山ほど用意できるけれど、結局のところそれらの面倒を受け入れていないだけの話。
一人はラク、人付き合いは面倒だ。そう言って孤独に逃げ込んでばかりいると、多分ロクなことにはならない。というか、実際のところ私だってロクなことになっていない。
人生これ即ち面倒の連続なので、徹底的に面倒を避けようなどと考えると、それはもう試合放棄以外ない。
生きることを放棄するのは、さすがによくないんじゃないかなあ。
孤独を回避する方法
結局のところ孤独(感)ってかなり主観的な要素で成り立っているものだから、表面的な条件でのみ定義、対策するのは無意味では。一人暮らしでも日々ピーヒャラ横笛吹いて踊り狂ってる私みたいなお気楽者もいれば、家族や友人、たくさんの人に囲まれていても深い孤独感に苛まれてる人もいるのだから。
さらにこのニュースでは特に男性の孤独の危うさについて言及されているけれど、それもそろそろどうなんだろう。仕事が忙しくて趣味や人付き合いに費やす時間がなくて、そしてプライドが云々なんて、今や男性だけの問題じゃないし、女性がみんな世界が滅びるまでおしゃべりを続けられるほど無邪気じゃない。
なんか書きたいことが多すぎて収集つかなくなってきたけど、とにかく。孤独の不安を解消するには、自分の感じている孤独の種類や原因を正しく探り当て、それを解決する方法を見極める必要があるのでは、という話。
孤独を回避する方法ってきっと人それぞれで、例えば一人で静かに過ごす時間を好む人の静かなコミュニティなんて奇妙な空間で癒される孤独もあるかもしれない。何も家族がどうのこうのとか、パーティーでウェーイとかだけ考えて、ああ私には無理、なんてオロオロする必要はないよね。
自分が一人暮らしかつ企業にも属していないということもあるけれど、孤独ってヤツはなかなか考えがいのあるテーマだわ。
で、なんだ。重ね重ねアレですが、私は決して孤独を美化も推奨もしませんよ。引き続きピーヒャラはさせていただきますけどね。
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「孤独」は、寂しさや惨めさなど、ネガティブなイメージのある言葉です。 しかしここのと
Comment
日本において「問題」なのは、「孤独」ではなくて「孤立」なのではないかと感じました。
社会(福祉などの公的サービスを含む)から、まったく切り離されてしまうことと。
ひとりの人間が、個人として自分の尊厳を維持し生きていくことは、「まったく別」のことというか。
後者は、なにひとつ責められるようなことではない、当然の権利かなと。
日本的な感覚では「個」が自立し独立していることが、一般的な皮膚感覚にないのかなとも感じます。
なので、「孤独(個人であることを尊重し愛する)」ことと「孤立」(社会から取り残されてしまうこと。ホームレスとか餓死とかとかゴミ部屋で孤独死とか)が混同して議論されているような。
Crispyさまは、自立した個であって、独りの時間を愛しておられて。
一方では、時に酒と食事を共有し、芸術や人生を語らえる多くのご友人がおられる方で、孤立とは無縁の素敵な暮らしをしておられるのではないかしら。
「個の尊厳」…というものは、とくに北欧系の友人が増えてから実感するようになった感覚です。
(あ、北欧万歳主義者ではありません^^)
老いてからも、人が自宅でひとり独立して生きられるようにできるだけ支援があって(家族が面倒みろとか、どこかで集団生活しろとか、そんなことは強いられません)。
そのかわり、寝たきりになってまで生きさせてはもらえませんし、医療サービスは、実際かなり不便ですし(ただ、逆に言えば、自身で食事が取れなくなった時点で、ゆっくりと枯れさせてもらえるのは尊厳ある終わり方かもしれません。最後まできちんと訪問があり、「放置」されるようなことはないようです)
ああ、そうですね……。
「放置」って感覚でしょうか。孤立と組み合わせになっているのは。
日本のご老人、管につながって生きていてもなんとなく「放置」されているイメージが……。
「孤独死」なんて、まさに放置の産物ですものね。
いわゆるオタクの方々は、「独りの世界」を愛していても、時に同趣味の人とは強く繋がっているようにも見えます。孤立はしていないような。日本人も実はどこかで、solitaryを「尊い」と思う気質はある気がしてきました。
一方で、「引きこもり」さんのような方は、身心に支援が必要な問題を抱えていたりして(うつ状態とか発達障害などの問題があるなど)孤立しがちなのかもしれません。
それでも日本では、やはりsolitaryは、否定的にうけとられるのでしょうかね。
繰り返しになりますが、当人がlonelyでなければ、別に他人がとやかく言うことではないと思うのです……。
ひとりを楽しむ方にとやかく言うよりは、「助けを求めて差し伸べられた手」を「すぐに取る」ことの方が大事と思うのですが。それは「放置」されているような気がしてなりません。
(すいません、なんか好き勝手なことを書いてしまいました)。
piさん
なるほど、「放置」ですか。
一人だと年取ってから大変だとか、将来食えなくなったらどうするんだとか言いますが、私は食えなくなったらまあ普通に終了ですよね、それが自然ですよねと思っているところがありまして。もちろんこれは私個人の生き方に対する考え方であって、自分の力で(体力的な意味でも金銭的な意味でも)食えなくなった人間は全て諦めろ、なんて言うつもりはないですが。
孤独と孤立は違うとは思うものの、孤独は孤立しやすいのも確かでしょうから、社会的な活動を面倒がっていてはいけないなと自分には言い聞かせる次第です。多分、孤立って或る日突然やってくるものではなくて、じりじりとそちら側へと移行して気付けばいつの間にか、というケースも多いでしょうし。
>「助けを求めて差し伸べられた手」を「すぐに取る」
必要な時に「助けて」と言えるかどうかも、大きなポイントかと。
自立しているのはいいけれど、いつもしっかり自分の足で立っているのが当たり前、むしろそうあらなきゃならない、と頑なに思い込み過ぎて、助けの求め方を忘れてしまうのはよくない。人を助けられる余裕はもちろん、潔く「助けて」と言える余白も持っておきたいですね。バランス大事。
とかなんとか言いながら、この先も今の生活を続けられたらうれしいなあと思っています。
今回の記事、なんかすごいカッコイイですね
ハルさん
コメントありがとうございます。
カッコイイところ…ありますか? 横笛あたりでしょうか。
どもっ♪ 気づいたら、ずっと「おひとり様」で~す♪ イェ~~ィ!!
一時期は『孤独死・・・怖ぇ~~っ!!』と不安に駆られたこともあったのですが、
よくよく考えたら、そんな私の腐乱死体を片付けるのはアカの他人であって“ 私自身 ”ではないと気づいちゃって『だったら別にイイや♪ 面倒なことは勝手にそっちでやってくれや♪ (-。-)y-゜゜゜ 』と、急に恐怖心から解放されました?!(笑)
パートナーと暮らしたところで、相手に先立たれてしまえば、結局「ひとり」ですしネ。
そもそも誰かと一緒に暮らすこと自体が、私にとっては違和感★満載★で、ストレス必至なことなので、よっっっっっぽどのことが無い限り、他人と“ 同居 ”するチョイスは考えられないのです。
《猫》なら何匹いても平気なのにねぇ~♪(笑)
別府美人さん
人間誰しも1ミリたりとも人様の手を煩わさずに生きたり、またこの世を去ったりするなど不可能なこと。お手数おかけしますが後のことはどうぞよろしくお願いします、と素直にお任せする気持ちになれば案外気楽になる人もいるかもしれませんね。
孤独死はさほど意識していないんですが、何しろ痛いのは苦手なので最期まで痛くなければいいのになあ、とは思います。
こんばんは。
まるいです。
以前飯島愛さんがお亡くなりになり死後数日して発見されたニュースを見た海外に住む既婚者姉に、
「孤独死に気をつけて。」
と言われました。
そんな話を起業家の女性に話すと、
「自分の好きな事や興味の有ることをブログにして賛同してくれる人とコミュニティ作って弧独死防止」
と、提案されたことを思い出しました。
横笛に楽しそうだと人がついてきたら、孤立も孤独死も放置も防止されるコース。
意図せず歩んでるんじゃないですか、クリスピーさん!
まるいさん
今思い出したのですけど前回の帰省時、父親が
「しかし孤独死って最高の死に方やな」
と宣いました。故郷を離れて東京で一人暮らしかつ自営業の娘の孤独を気に病むどころかまさかの孤独死推し。推す理由も聞いたような気がしますが、酒が入っていたのでもう忘れてしまいました。なんというこの親にしてこの子あり感。
おっしゃるように、日々飽きもせず書き連ねているこの行為は生存確認ツールとして機能するかもしれません。吹けよ横笛、綴れよ駄文! とまたピンクフロイドがこんにちはしておりますが、更新が止まったらあいつ死んでるんじゃないかとSNSあたりで拡散していただければ早期発見に繋がるとか繋がらないとか。
ええと、引き続きよろしくお願いいたします。